「赦す喜び、赦される喜び」①

碧南聖書教会 牧師 菊池充

「いつも喜んでいなさい絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(第1テサロニケ5:16−18 新改訳)
多くの人に知られていることばですが、日常生活において、実行するにはなかなか難しい言葉でもあります。しかし、聖書は、逆境の中にあっても喜び祈り感謝することを教えています。これをどのように受け止めれば良いのでしょうか。
コロナ禍以前ですが、なかよし村で賛美する機会が与えられました。皆さまとお会いして、宮城県南三陸キングス・ガーデンにお世話になった両親を想いました。
今から半世紀以上前です。神学校を卒業し初めての任地が浜松であった父は、宣教師と共に浜松中沢教会をスタートさるべく開拓伝道を手伝いました。しかしあまりにもハードであったのか、父は体調を崩し入院してしまい、そこでクリスチャン看護師の女性と出会い、結婚し浜松市から金沢市へ転任しました。
兄が生まれ、2年後に私が生まれました。さらに2年後に3番目が誕生するはずでしたが、母の具合が急変し、クリスマスに大学病院へ行くと、胆嚢結石と分かったのですが、時は遅すぎました。母の体の中から8ヶ月の赤ちゃんを取り挙げましたが、残念ながら翌日死にました。死んだ赤ちゃんを抱き寄せた母は、「天国に希望を持つ」と言う意味で「望」とつけました。  
その母も、翌年の1月14日に29歳という若さで亡くなりました。私が2歳の時です。父は、私と4歳の兄の子育てをしながら、牧師として奉仕していましたが、苦労が絶えない姿をみて、紹介された女性と再婚しました。その母は、必要以上に厳しく、躾という仮面を被った虐待とも言える状況でした。言う事を聞かないとひどく叱られ、お尻を叩かれ、つねられるので子ども心にも「神様がいるなら何故、弟と母が死に、この人が母となったのか」といつも思っていました。
「充は、私が産んだ子じゃないから」とか「お母さんの言うことだけを聞いていればいいのよ。」「お母さんがダメと言ったらダメなの!」と、繰り返されるやり取りを通して「言わない方が安全」「我慢すればその時を乗り切れる」ということが身についてしまいました。そして20歳の時、ある事をきっかけに、「本当のお母さんだったら、そんなことはしない!」と言って私は家を出ました。
両親を捨て、教会を捨て、信仰を捨て、友だちも捨て逃げるようにオーストラリアへ旅立ちました。
(以下次号・②へ)