「赦す喜び赦される喜び」②
碧南聖書教会      牧師 菊池充

「お母さんは本当のお母さんじゃないからそんなことをするんだ!本当のお母さんだったらそんなことはしない!」と言い放ち、両親を捨て、教会を捨て、信仰も捨て、友だちも捨て、逃げる形でオーストラリアへ旅立ちました。
オペラハウスを見渡せるシドニー中心街のホテルで皿洗いをしながらアパート暮らしが始まりました。誰からも咎められず、気ままな生活は籠から飛び出た鳥です。楽しくて楽しくて、放蕩息子とザアカイが一緒になったような生活です。
しかし、その様な時間はいつまでも続く事はなく、1981年10月11日、どうしても断り切れず渋々行った教会の帰り道、高速道路で反対車線へ飛び出す大事故にあってしまいました。ハンドルは根元から折れ、ドアは吹っ飛び、フロントガラスは粉々に割れ、頭に突き刺さりました。
人生二度目の三日間意識不明です。目が開いて気が付いた時、体はまったく動きませんでした。立てない、歩けない、車椅子の生活が始まりましたが、この事故を通して献身へと導かれました。帰国後神学校へ入学、卒業し牧師となりました。それでも心の中には、赦すことの出来ない母がいました。
牧師になって30年。妻と祈っていたとき「全てのことについて感謝しなさい。これが神があなた方に願っていることです」と迫られました。「あの事もこの事も全て感謝しないといけないのですか?」と神に尋ねると、神様は沈黙の答えをされました。「分かりました。育ててくれたことは間違いない。『ありがとう』を言いに行きます」と、終の住処として両親が選んだ宮城県南三陸キングス・ガーデンへ行きました。しかし、母を目の前にすると何も言えないまま帰ってきてしまったのです。
それから数ヶ月後、東日本大震災が起こりました。地震と津波と漏れ出した重油が燃え、気仙沼は火の海となりました。「菊池家は終わったな」と思うと同時に、あの時「ありがとう」と何故言えなかったのか・・・。
後悔しながら生きていく事になる・・・。その様に思いました。
 安否が確認できたのは10日以上経ってからでした。
急いでキングス・ガーデンへ向かい、到着した夜、母と二人きりになると今までの心の内を伝え、「今までありがとう。育ててくれてありがとう。お母さん、あなたを愛し赦します」と言いつつ、母を初めて抱きしめました。心につかえていた感情がス〜ッと消えて行くのを感じて、本当に心が軽くなりました。
キングス・ガーデンのスタッフ自身も被災者であるにもかかわらず、入居されている方々へ、心暖まる献身的な介護を続けられていました。救いも感謝も謝ることも先延ばしにしてはいけないことを、身をもって知ることができました。