動じない神に背負われ、慰められて

岐阜キングス・ガーデン      副理事長 河合 昇

「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
(イザヤ書四六・三~四)
新型コロナ五類移行から一か月になります。私の手元には六回目の接種券がありますが、かかりつけの医師は以前より、積極的に進めなくなりました。
また、いろんな集会も対面中心になってきました。世の中が動き出した感じがします。しかしなかなかマスクを外すことができませんし、習慣でしょうか、用心のためでしょうか、はたまた世間を気にしているためでしょうか。
さて、私たちは、誰でも病を経験します。生まれつき健康な人であれ、病弱な人であれ、病を経験することにかわりはありません。遅かれ早かれ、あるいは多かれ少なかれ、肉体的であれ精神的であれ、私たちは病を経験します。
私事で恐縮ですが、ここ数年体調に異変が生じ今まで経験したことはなかった週単位の入退院を繰り返して不安な日常を過ごしておりましたところ、今年の二月、妻が、教会の主日礼拝が始まる直前に倒れ頭が真っ白になる経験をしました。幸いにして皆様の祈りに支えられまして一命を取りとめ、今もなお左半身麻痺と言語障害の回復に努めております。
毎日の変わりない日常がある日突然襲われる時、私たちは右往左往します。そんな打ちひしがれる時、神はイザヤを通して語られます。慰めと癒しのみ言葉に励まされます。
わたしの計画は揺るがない。私は動じない。私はあなたたちを負い、白髪になるまで背負う今のお前たちは歳おいて白髪となり弱り果てている。変わりはてている。」そんな変わらない神様に背負われて生きて行こうと思います。安心しながら、一喜一優しながら生きている昨今です。