その砂漠を主の園のように

岐阜キングス・ガーデン 理事 古川秀昭
 
 まことに、主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。(イザヤ書51章3節)
なかよし村のテーマソングですね。最近、私はいつのまにか、この歌を一人の時にも、口ずさんでいることがあります。
 たぶん連日のイスラエルとガザの惨い争いのニュースで、祈りやカンパをするたびに、目にする現地の悲惨な写真に接するからでしょう。今すぐに争いを中止し、荒れ果てた生活の場を本来の「主の園」になることを願わざるをえないからかもしれません。
 イスラエルとパレスチナの争いはもう何千年も前から繰り返されています。創世記二一章ではアブラハムとサラによって追い出された女奴隷ハガルとアブラハムとの子であるイシュマエルは荒野をさまよいます。ついに疲れ果てイシュマエルの死を目前に絶望するハガルの前に天の使いが現れます。天の使いがハガルに言います。「ハガルよ、どうしたのだ…神がその少年の泣き声をきかれたのだ…立って少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。神はその子を大いなる国民とする」と。そしてその約束通り、このイシュマエルから現在のアラブ民族が誕生しました。神の約束はアブラハムの妻サラの子イサクと、ハガルの子イシュマエルを祝福しました。この創世記を共通とするキリスト教、ユダヤ教、イスラム教によって人間の歴史に様々な影響を及ぼしてきました。ですから今こそ私たちは、父なる神の御子主イエスがすべての人々の救い主であることによって、本当の平和を求めなければなりません。イスラエルもパレスチナもどちらが正しいのではなく、私たちもみな罪びとで主イエスキリストの十字架によって赦されているのですから、争っていてはなりません。主は荒野を主の園にする方です。そうすればそこに楽しみと喜びと賛美と感謝があるのですから。