主は必要を満たされる
友愛キリスト教会 新井健二
「こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。」(出エジプト15:27)
この度「なかよし村水曜日礼拝」が「心のオアシスタイム」と呼称も改めてリニューアルされました。先に引用させて頂いた出エジプト記の中の御言葉は、その「心のオアシスタイム」という命名を受けて、真っ先に私の心に浮かんだものです。御言葉をお読み頂いてすぐに分かる通り、「荒野」でイスラエルがひと時の安息を得た「エリム」は非常に豊かな「オアシス」でした。
ところで、私たちが「オアシス」を必要とするのは、私たちが生きる現実が「荒野」のように過酷なものであるからではないでしょうか。そこで私が思い起こすのは、カトリック信者としても知られる社会学者の宮台真司さんがある対談の中で語られた「社会という荒野を仲間と生きる」という言葉です。そしてこの言葉は、現代社会に生きるすべての人々に対するメッセージであると同時に、私たちクリスチャン共同体のあるべき姿そのものではないかという思いが私にはあります。
確かに「荒野」で旅を続けるためには「オアシス」と「仲間」の両方が必要です。しかし感謝なことは、主がイスラエルに「エリム」を備えられたように、なかよし村には、すでにその両方が与えられているということです。私たちにとって「荒野」のように感じられる過酷な現実はなお続きますが、私たちの必要を良くご存じであり、且つ、その必要を満たしてくださる主に信頼し、日々、心からの感謝と賛美をささげてまいりましょう。
「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)