山に向かって命じよう!

祖父江キリスト教会
 牧師 小森文雄

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。マルコの福音書十一章二三節
これは、主イエスが祈りについて教えられた箇所の一つです。本当でしょうか?
「山」とは何でしょうか?
これは、どの様な意味でしょうか。私たちが「伊吹山」に向かって命じるならば、次の朝には伊勢湾に移動するのでしょうか。
山は、移動しません。いつまでも同じ場所にあります。そこに在り続けるのが、自然です。ですから、「山」は文字通りの「山」ではありません。「山」は、ここでは困難なことの象徴として用いられています。だとすれば、私たちの生活の中にも、心の中にも「山」があるのではないでしょうか。
あきらめていませんか?

初めのうちは、「困難」や「問題」が取り除かれるように祈ったかもしれません。しかし、なかなか解決しなかったために、あきらめてしまっていないでしょうか。自然の中の「山」と同じように、「困難」や「問題」があることに、「慣れ」・「当たりまえ」になっていないでしょうか。あまりに当たり前で意識することすらなくなっている「課題」は、ありませんか。

 主イエスは、その様な私たちの生活と心の中の「山」に向かって『動いて、海にはいれ。』と命じ祈るようにと、語られます。「祈るべき問題」「解決されるべき問題」である事すら意識しなくなってしまい、あきらめてしまっている「山」は、ありませんか。 新しい年、それぞれの「山」に向かって「海に入れ」と共に命じましょう。
 なかよし村も神が「山」を動かしてくださったことを経験してきました。新しい年も、神が「山」を動かしてくださることを共に見せて頂きましょう。