たましいの安らぎを求めて

岐阜キングス・ガーデン理事
友愛キリスト教会 牧師  新井健二

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11:28-29)
私は聖書が証しする福音こそ、あらゆる人々の福祉(幸福)の土台であり、根拠であると信じています。そして、その根拠となる聖書の御言葉の一つとして、冒頭の御言葉を上げさせて頂きました。つまり、人間の福祉(幸福)ということを突き詰めて行けば、それは「たましいに安らぎ」を得ることに他ならないであろうと私は思うのです。またその場合の「たましい」とは、私たちの「肉体」を離れた、」狭い意味における「心」や「霊」といったものではなく、例えば詩篇103篇一節に「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」と歌われているように、私たちの全人格、もっと言えば、「ゆりかごから墓場まで」という私たちの全生涯をも包摂しているものであると理解しています。そして、聖書の御言葉に根差した岐阜キングス・ガーデンの働きは、まさにそのような「たましいの安らぎ」を希求する主ご自身のお働きとして、ますますの発展と活躍を期待されているものであると確信しています。
新型コロナウィルスの感染拡大や様々な社会状況の変化の中で、困難も多くあることが予想されますが、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」と招かれる主に信頼して、熱心に祈りつつ、共に歩んでまいりましょう。