「聖名が崇められますように」

尾崎キリスト教会
大平橘夫

ウェストミンスター小教理問答の第一番目に、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」とあります。
 岐阜キングス・ガーデン「なかよし村」もそのためにつくられたと信じると胸が踊る思いに駆られます。
 なかよし村のスタッフの皆さんや、背後で支えておられる理事や役員の方々は、愛の心で忠実に神様に仕えて、神の栄光をあらわしておられます。
忘れてはならないのは入所者の皆さんも「神の栄光をあらわし、神を喜ぶ」ために遣わされているということではないでしょうか。
私もすでに後期高齢者に入っておりますが、今頃になってようやく「御名が崇められますように」と何度か心に浮かんでくるようになりました。社会で働いている頃は、せっかく与えられた仕事も自分のエゴのために多くを費やしてきたことに後悔するばかりです。そしてこれまで頑張ってきた様々な仕事から遠ざかっていきますと、役に立てない自分には一抹の寂しさを感じます。
しかし、神様は大きな愛と憐れみによって私たちの身の丈に合ったお仕事を下さいます。多分、年老いて体が動かなくなっても、私たち一人一人に計画を持っておられ、どんな状態になっても神様の栄光をあらわし、ずっと神を喜び奉る仕事は与えられると思います。
その為には、神様に自分の望みを遂げてもらうのではなく「みこころが行われますように」と常に祈ることが重要ですが、まだまだ至らなさを感じます。神様の御計画に従って歩み、聖名が崇められる働きがもっとできることを願う今日この頃です。
「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29章11節)
「夕暮れ時に、光がある。」(ゼカリヤ書14章7節)との御約束通りです。