夕べがあり、朝があった
岐阜キングス・ガーデン 理事長 竹内伸秀
「神はお造りになったすべてのものを見られた、見よ、それは非常に良かった、夕べがあり、朝があった。」 創世記1章31節
私の好きなことばの中の一つに、兼好法師が、友とする者に悪しきものとして「病なく身の強きもの」をあげています。つまり健康自慢のような人間は、他人の痛みや苦しみがわからないことが多いのではないか、ともすれば身体の弱い人に対して精神がたるんでいると言って、非難することがしばしばあるのではないか? 誰もが健康を求め最善を祈りますが、逆説的にいつも病気やケガと共に生活している人に対しての優しさに欠けることになるのではないか・・といった危惧を知らしめているように思います。
人は、一人ひとりがかけがえのない存在で、替わってあげたり、代わってもらったりすることが出来ません。それは、神からの授かりもので尊いのです。
神は、存在しているだけで尊く用いてくださいます。
歳を重ねてまいりますと、ほとんどの人は健康に不安を感じ高齢特有の状態になります。しかし、そうした現象は高齢者の一つの財産ではないかと思います。
社会全体で認め合い輝いて生活できる地域社会の構築を祈ってまいりたいものです。
また、内村鑑三の「読むべきものは聖書・学ぶべきものは天然・なすべきことは労働」(学校法人基督教独立学園の建学の精神の一部)も私の好きなことばです。 今の社会を臨みますと、その言葉の如く聖書と天然(自然)と労働がとても大切な生き方に結びつくのではないでしょうか。特に自然に対して私たちは、謙虚な気持ちで日々暮らすことが求められています。人間の浅はかな?考えで征服は出来ません。
神様がお造りになったすべてのもの、そしてすべてを「益」としてくださる神様に感謝します。