神のなされることはみなその時にかなって美しい

岐阜キングス・ガーデン      理事 河合昇

 人はみな、それぞれ自分の人生を生きています。喜びがあり、悲しみがあり、悩みがあり、苦しみのある人生です。人間はその出発点と終着点を、自分の意志で自由に選ぶことができない存在だと言われます。今の時代と場所を選んで、わたしたちは生まれてきたわけではありません。
そして、いつわたしたちの人生が終わりを迎えるのか、定かではありません。しかし、わたしたちには、誕生から死に至る、人生の出発点と終着点の間を、どのように生きるかを選び取る自由が与えられています。
今まで、どのように生きてきたのか
今、どのように生きているか
今から、どのように生きて行くのか
わたしたちはひとりひとり、この問いの前に立たされながら生きています。
 年をとるということ イエスは肉の人間、自然の人間は、生まれ、成長し、老い、死んで行くのであるが、その人間が「死人を生かし、無から有を呼び出す神の力」によって、すなわち、霊の力によって新生することを語っておられます。イエスをキリストと信じ告白するバプテスマを通し、人は新しく生まれ変わり、永遠の神の国に希望を持って生きる者に変えられるという信仰によって、人は老いの苦しみや死の絶望を越えて生きる希望を与えられるというのです。
 新しい年度が始まっています。祈りのなかで主から与えられたご命令にチャレンジし続けたいと願っています。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」伝道の書 口語訳3:11