人生の夕暮れ時の光

長良キリスト教会   牧師 増田由夫

 小さな漁村に生まれ育った私は、浜辺に立って海に沈んでいく太陽を眺めるのが好きでした。空の雲がオレンジに染まり、その光を反射して海も一面に黄金色に輝く時、私の目は必ず西に傾いていく大きな太陽を追い続けており、顔から足の先まで光に染まっていました。
「夕暮れ時に光がある。…」(ゼカリヤ書14:7)との聖書のことばは、世の終わりの天の御国到来の時、神ご自身が光となり、夜も昼もないという預言のことばです。しかし、私なりにこのみことばから励まされていることがあります。人生の晩年を迎える頃にこそ、神あっての自分の人生だと悟り、天の御国にあこがれる希望の光に心が照らされます。また、年老いても互いの存在の大切さを認め、互いの必要のために祈り合うことができる仲間がたくさんいるということの喜びが、心を明るくしてくれます。今なお、祈り支え合う交わりに参与できる道があることは、私たちにとって何と幸いなことでしょうか。
 私たちが他者のために祈る時、自分が他の人から祈られていることが分かってきます。祈り支え合う仲間に心が満たされます。岐阜キングス・ガーデンなかよし村を例にとるならば、多くの祈りの手がこの事業を支えてくださっています。そして祈り支えることが互いの愛の喜びとなり、なかよし村の霊的な財産ともなっています。
今も多くの方々が岐阜キングス・ガーデンのさらなる発展のために祈り支えてくれています。また、認定NPO法人の設立のために祈り、協力を申し出てくださっています。そのようにして岐阜キングス・ガーデンなかよし村が、皆様の愛の光に包まれているのだと、改めて神様に感謝します。