「年をとっても」
岐阜キリスト教会 牧師 川村真示
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ46章4節)
私がお仕えしている教会グループ(教団)の、新たなスローガン(五カ年計画)が発表されました。それは「次世代のために献身する」です。最近こういった言葉をいたるところで目にします。背景にあるのは、教会における少子高齢化です。それは教会だけに限ることではなく、日本全国的にもいえることです。でも、もしかしたら、教会のそれは、この世のなか以上に加速しているのかもしれません。
そういったなかで一人一人のクリスチャンが、自分の世代だけのことではなく、本気になって次世代のために献身していくことはもちろん大切です。新しい取り組みを始めたり、場合によっては礼拝そのものを、もっと若い人にも親しみやすい形式にしたりすることも考えられるかもしれません。
しかし同時に忘れてはならないのは、今まで教会を支えてこられた世代に対する尊敬と感謝、そして配慮です。高齢者が居場所を失ってしまうような急激な変化を、神様は本当に喜ばれるのでしょうか。神様が本当に喜ばれることは「神様がどのようなお方なのか」ということに深く結びついています。
冒頭の聖書の言葉にはこうあります。
「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。」
岐阜キングス・ガーデンが、この神様の恵みと平安を、年をとっても豊かに感じることのできる「主の園」として用いられていきますように。