「岐阜キングス・ガーデンが祈りの家であるように」

日本同盟基督教団     無任所教師 入川達夫

 年をとるということは、身体的にも、社会的にも、また人間関係においてもしだいに様々な部分や関係を失ってゆく喪失現象であると思います。しかし、感謝すべきかなクリスチャンの私達は、外の色々な面を失っても、内なる部分はますます霊的に豊かにされるように導かれています。つまり、私達は失えば失うほど神様との交わりの豊かさへと引き上げられて行くのです。これこそクリスチャン老人の最もすばらしい生きざまであると思います。そしてそれが形に現れるのが祈りの世界です。祈りは、たとえ寝たきりになったとしても、最後まで残る信者の生き方であり奉仕です。
 ルカの福音書2章36節~38節に登場する女預言者アンナの人生にそれを見ることが出来ます。84才の彼女は一日中神様の臨在の間近で過ごし、昼も夜も祈りをもって仕えていました。「祈りをもって神に仕える」とは、イスラエルの救いを願って「とりなしの祈り」に一日を使っていたに他なりません。これこそクリスチャン老人の模範的な生き方ではないでしょうか。
 私は思うのです。やがて完成する岐阜キングス・ガーデンがこのような「祈りの家」、「とりなしの祈りのセンター」としてその使命を果たされる施設となることを。そこでは昼も夜も、世の苦しむ人々のために、キリスト教会のために、世界の救いのために、国家のために、為政者のために、熱いとりなしの祈りが積まれ、そして、献げられる祈りで世界が変えられるように用いられることであります。そのような祈りに満ちた老人ホームは神の御国のためにどんなに大きな役割を果たすことでしょう。
老いは失うことではなく、より豊かにされた神様との関係を喜ぶことにあると思います。岐阜キングス・ガーデンが、生ける神様の臨在のみそば近くで、このお方を喜びこのお方にとりなしの祈りを捧げるホームとして用いられんことを心から願います。