希望の光
            
長良キリスト教会      牧師夫人 増田 みどり

主イエス・キリストが目の不自由な男の人にお尋ねになりました。「何をして欲しいのか。」と。この男の人の必要を最初から分かっておられたイエスさまですが、それでも、その人が何を切望しているのかをまずお聞きになり、その願いに沿って神さまのわざを行われました。見えることこそが自分の人生を光へと一変してくれると信じて、イエスさまを追い求めていたのでしょう。主の愛とあわれみによって、この人の人生は光を見ることができたのです。(マルコによる福音書 10章46~52節)。
 散歩から帰って来た人に、ヘレン・ケラーが聞きました。「何を見てきましたか。」と。その人の答えは「特に何も」でした。それを聞いたヘレン・ケラーは思ったそうです。目の見える人は、実際は何も見ていないのだと。
多くの人が人生に光を見ているでしょうか。特に人生のラストステージではどうでしょう。光に照らされた最高の時となっているでしょうか。大切なことが見えていると思ってはいるものの、おおぜいの人が老いに不安を感じ、目指すところ、行き着くところを知らないで希望の光を失っています。希望の光があることすら知らないのです。主イエス・キリストはそのような人々に、見えるようになって欲しいと願っておられます。「夕暮れ時に光りあり」(ゼカリヤ書14章7節)このテーマを掲げるキングス・ガーデンは、主イエスさまから、その尊いわざを託されているのです。
人々の人生が一変して、神さまがくださる希望の光に向かうように、そして夕暮れ時が人生のベストステージになるように、キングス・ガーデンは神と人とに仕える働きをしたいと心から願っています。神さまは、この願いに沿って栄光のわざをなしてくださることでしょう。