岐阜キングス・ガーデン 理事長 素描

2024年12月 師走

竹内伸秀

 今年も師走が訪れてまいりました。例年のように喪中はがきが届いております。お一人おひとり懐かしい思い出に浸ることも多々あります。今から50年ほど前ですが小生が当時の厚生省に関係する仕事をしていました。一度だけですが、山内豊徳氏から講義だったと思いますがお聴きした記憶があります。今回は、山内豊徳氏の著書から心に残っていることをホンの少しですが、書いてみました。

 山内豊徳 著 「福祉のしごとを考える」から

  *山内豊徳(やまのうち とよのり)1937年1月9日~1990年12月5日(53歳)

 経歴・・陸軍軍人であった父(山内豊麿)の子として福岡市に生まれる。幼くして両親が離婚し、父は出征先の上で戦病死したため、父方の祖父母に育てられた。15歳の時に骨髄炎に罹り、片足がやや不自由となる。1959年東京大学法学部を卒業し、上級国家公務員試験に99人中2番という成績で当時の厚生省に入省した。1990年7月、環境庁企画整備局長に就任。1990年12月5日自宅で自殺を遂げた。(水俣病認定訴訟において、患者側と国の施策の狭間での苦悩が原因らしい。)

山内豊徳氏が環境庁企画調整局長に就任してから5ヵ月であり、その後数ヵ月で厚生省側の歩み寄りで和解委が成立している。

 山内豊徳氏の著書から、その温厚誠実な人柄が伺えます。その著書の一部を紹介します。

福祉の仕事はどんな仕事か。

・人間を全体としてとらえる。つまり、社会全体として社会生活に適応させることを目的としている。

・福祉の仕事は多門性であること、多くの専門、職業人との協力と援助なしに成功できない性格と仕事であること。社会福祉の職場で働く人にまず要求するのは、人間を知ることの難しさを認める謙虚さということである。

・福祉の仕事に期待される人材の特性として「人間的な感情に支えられた研究心」であると申されています。他に学ぶことがたくさんあります。小生は現在82歳ですが、未だに座右の書として大切にしています。

 若いころ厚生省で一度お話を聴いた記憶がありますが、人間の出会いや別れは、その人の存在を図り知ることのできないものがあるように思いました。残された2人のお嬢様、ご夫人に敬意を表します。今、ご主人さまお父さまを偲びご遺族の皆さまがどんな生活をされておられるのか、神さまの祝福をお祈り申し上げます。